帷子ノ辻駅の前を通る三条通は、市内中心部と嵐山を結ぶ通りなので、いつも交通量が多いのですが、沿道には古い町並みと、昔からあるお地蔵さんが多数残っています。
2013年6月30日日曜日
2013年6月25日火曜日
2013年6月23日日曜日
金戒光明寺のアフロ石仏
浄土寺に移り住んでから、自宅近所の真如堂や黒谷の相性で知られる金戒光明寺は、散歩道として、よく訪れていました。どちらも人気の観光地ですが、東山のメインストリートともいえる、鹿ヶ谷通(銀閣寺、哲学の道、南禅寺等)とは白川通を挟んで反対側の地域ということもあり、紅葉のシーズンでもそこそこ空いていて、のんびり散策するにはちょうどいい場所でした。
金戒光明寺や真如堂には、いくつもお地蔵さんや石仏が並んでいますが、私が特に気に入っていたのが、金戒光明寺のアフロ石仏、正しくは五刧思惟阿弥陀如来像です。階段上になった墓地の中にたっていて、少し離れたところからでも、大きな頭がよく見えます。五劫思惟阿弥陀如来は、なぜこのようなでかい頭なのかというと、長いこと髪を切ったり整えたりすることなく、思惟に没頭していたためだといいます。実際にち近くでみてみると、なにやらゆるキャラのようでもありますが、大きくてどっしりした頭と優しい表情は、見る人を落ち着かせます。
金戒光明寺や真如堂には、いくつもお地蔵さんや石仏が並んでいますが、私が特に気に入っていたのが、金戒光明寺のアフロ石仏、正しくは五刧思惟阿弥陀如来像です。階段上になった墓地の中にたっていて、少し離れたところからでも、大きな頭がよく見えます。五劫思惟阿弥陀如来は、なぜこのようなでかい頭なのかというと、長いこと髪を切ったり整えたりすることなく、思惟に没頭していたためだといいます。実際にち近くでみてみると、なにやらゆるキャラのようでもありますが、大きくてどっしりした頭と優しい表情は、見る人を落ち着かせます。
地蔵ブログはじめます
Facebookにときどき地蔵の写真を投稿していましたが、ずいぶん数が増えてきたので、今後はこの地蔵専用ブログにまとめておこうと思います。
地蔵に関心をもつようになったのは、京都に来て、最初に北白川に住んだことがきっかけでした。北白川から京都大学へと向かう途中には、今出川通と志賀越道の分岐点に大きな地蔵がありました。この人の背丈よりも大きな地蔵を毎日拝みながら通学していたことが、地蔵っていいな、と思った最初だったのかもしれません。
大学で教えるようになり、他所からくる学生たちに京都のおもしろいものを紹介する際に、地蔵や石仏の話をときどきするようになりました。北白川から修学院あたりは、かつて石材や砂の産地だったせいか、昔から路傍に地蔵や石仏が多く立ち並んでいます。
その後、知人から指摘され、京都によくある、顔を塗料で描いてある地蔵が、全国的には珍しいということを知り、顔が書いてある地蔵ばかりを集めるようになりました。お地蔵さんの写真を撮り始めて1年近くがすぎ、現在では、古い町並みや住宅地に足を踏み入れると、どのへんに地蔵堂があるのか、感覚的にわかるようになってきました。しかしまだまだ京都中のお地蔵さんを網羅しているとはとてもいえません。このページには、日々撮影したお地蔵さんの写真を、簡単な説明とともに投稿していきたいと思います。
地蔵に関心をもつようになったのは、京都に来て、最初に北白川に住んだことがきっかけでした。北白川から京都大学へと向かう途中には、今出川通と志賀越道の分岐点に大きな地蔵がありました。この人の背丈よりも大きな地蔵を毎日拝みながら通学していたことが、地蔵っていいな、と思った最初だったのかもしれません。
北白川の子安観音 歩道を塞ぐ巨大さ |
大学で教えるようになり、他所からくる学生たちに京都のおもしろいものを紹介する際に、地蔵や石仏の話をときどきするようになりました。北白川から修学院あたりは、かつて石材や砂の産地だったせいか、昔から路傍に地蔵や石仏が多く立ち並んでいます。
その後、知人から指摘され、京都によくある、顔を塗料で描いてある地蔵が、全国的には珍しいということを知り、顔が書いてある地蔵ばかりを集めるようになりました。お地蔵さんの写真を撮り始めて1年近くがすぎ、現在では、古い町並みや住宅地に足を踏み入れると、どのへんに地蔵堂があるのか、感覚的にわかるようになってきました。しかしまだまだ京都中のお地蔵さんを網羅しているとはとてもいえません。このページには、日々撮影したお地蔵さんの写真を、簡単な説明とともに投稿していきたいと思います。
人の背丈よりも大きい石仏 圧倒的なサイズ感にしびれます |
登録:
投稿 (Atom)